ふと下を見ると、小さな水溜まりができていた。水面に浮く葉越しに、門が映り込んで地中深くへと伸びている。
その中に何か動くものが見えた。
白い髪に黒い肌、大きくぎょろつく目。それは己だった。
目を瞬かせしばらくぼんやりと見つめていると、徐に水面の中の己はこちら側へ迫り出して来た。

1

遠くから鐘の音が聞こえてくる。
規則的に、緩慢にリズムを反復しながら。透き通った残響が大気を伝い、低音が唸り地面を微かに揺らしている。

乾いてひび割れた地面には巨大な岩が点々と突き出し、平坦な地平線に起伏を生んでいた。そのうちのいくつかはうろを成し、装飾で覆われた手摺や、奇妙な像が削り出されている。

足元を小さな水流が通っていて、所々に植物で編んだ橋が架けられていた。
その近くに石の柱が並んでいる。柱の間に架け渡された薄い布は、珊瑚色の天空光を薄紫色や黄色に変えていた。

淡色の空気に人影が浮いている。
幾重にも纏った布が魚の鰭のように揺れている。
大きく奇妙な形の頭飾りをつけているが、それが石であるのか金属であるのか定かではない。

人影は手摺に寄りかかり、手にした書簡に何事かを一心に書き留めていた。傍らには文字で埋め尽くされた紙が溢れかえっている。
竹の筆が動く度に、脚代わりの布が生き物のように揺れる。

いつまでもそうしていると、外では糸雨が降り出していた。
ゆっくりと流れる時間の中で、いつまでも鐘の音が鳴り響いていた。

2

錆が、緑が、鳴き声が、切り立つ鉄に繁茂する。
崖に突き立てられた鉄骨組の不恰好な要塞は、すっかり錆びて蔦に覆われていた。
長い年月は土と生命を呼び、有機物が作り上げた地形は水の流れを呼んでいた。

無数の鳥人たちが鉄屑の隙間に居着いている。
降り続く雨の中、ある者は笑い飛び回り、ある者は鳴き声を上げて水流の下で遊んでいる。
錆びた鉄骨の上に緑が柔らかく生い茂り、小さな滝の流れが鮮やかな羽を攫っていく。鳥人はくすぐったそうに、けたけたと鳴いて身を捩った。

少しばかり進むと鉄の森は途絶え、にわかに視界がひらけた。見渡す限り山稜と白んだ空が広がっている。
鳥人のひとりが自慢げに翼を広げ、けたけたと鳴いて旋回した。

山の上部には巨大な装置が横たわっていた。
赤金のパイプやドーム型の釜も、蔦に覆われかつての輝きを失っている。
釜に開いた穴から、滝へとつながる水が溢れ出していた。この山の湧水だ。
鳥人たちはここにあるものが何であったのかを知ることはないだろう。

3

埃をかぶり、機械たちは沈黙している。
皆眠りにつき、薄闇の中黙りこくっている。

天井に描かれた星は、それでもゆっくりと軌道上を移動していた。
一分一秒、違わず時を刻みながら回転している。

洞窟のように暗い部屋の数々を通り抜けた先に、大きな機械が鎮座していた。
金属の球体の中で何かが蹲り丸くなっている。

崩れた天井に空いた穴から外気が流れ込むが、いつまでも夜が明けないためその輪郭は朧げだ。

沈黙が重く垂れ込めていた。
歯車だけが、一分一秒、違わず時を刻みながら回転している。
機械が時折こぼす歯軋り以外は、まったく静かなものであった。

どれほど経ったか、ぽつりぽつりと辺りに人工的な明かりが灯っていく。
冷たく横たわる空に、絵の具を垂らしたように斑の光が差し込む。
球体の中のそれは身じろぎすると、全身を震わせ声を上げた。

それは夜明けだった。

4

ヴォールトは凄まじい勢いで回転し、壁じゅうに取り付けられた灯だけが眩い軌道を残している。
正三角形が連なった視界は万華鏡のように互いが貫入しては離れ、そこらじゅうに極彩色を撒き散らしていた。

部屋の中にいるはずなのに、中空から落下しているような感覚に見舞われていた。
線の細い梁が幾度も頭上を通り過ぎ、そのたびに周囲は忙しなく灯の色を変えている。

突如、回転する炎が人の形を成し、目の前に躍り出た。
目に涙を滲ませ、仰け反り蹲り笑い狂っている。薄い胸を震わせる度に長い髪が逆立ち光を迸らせた。
身を翻らせては周りの灯を踊らせ、首を傾げるたびにその残像を宙に残していた。

十本の指先からまた手が生え、その指からまた手が生え、樹の枝のように分かれて伸びていく。
それらは気づけば辺りを取り囲み踊っていた。
甲高い笑い声が息も絶え絶えに響き渡っていた。

5

洞窟は数々の巨大な空間を抱えながら、どこまでも続いていた。
天井から垂れ下がった円錐形の石たちは時折水滴を落とし、水音をひっきりなしに響かせている。

ここは元来、異教との交わりのうちにできた場所だった。
かつて洞窟中に塗られたメッキや絵画はすっかり剥げ落ちていたが、石に刻まれた人為的な曲線は今になってもその形を残している。

一際高い祭壇に、鉱石がならんでいる。
地面と固く結びついたそれは色とりどりの山を成し、仄かな光を放つ。
その山に埋もれるようにして、彫像は佇んでいた。

身体は透き通る鉱物でできていた。金属製の関節から数本の腕が伸びている。
片膝を抱え頭を垂らした格好で、目を薄く開き、微笑ともつかない表情を浮かべている。
その様子は祈りとも微睡みともつかなかった。

彫像の口から漏れる風は不規則に変化し、やがてそれは小さな囁きになっていった。
辺りにこだまする言葉は、かつて何かの意味を持っていたのだろうか。

6

すべては砂煙の中に覆われていた。
焼けるような風が吹き荒ぶ。
上空の球体から放たれる光輪も、かろうじてその輪郭を見せるのみだった。

たしかにその中を歩いていたはずだった。あるいは飛んでいたのかもしれない。砂煙のせいで自分の足元も見えないのだから。

一寸先にあるのは砂だけで、目の前の子供以外何も見えない。
子供は大仰なぼろを身に纏っていた。焼け焦げて色の抜けた髪が暴風に晒され靡いている。
腕の無い手をこちらに伸ばし何かを必死に叫んでいるが、その声は風にかき消され聞き取ることはできない。
子供の顔に浮かんでいるのは怒りに見えた。砂が入り込むのも厭わずに大きく目を見開き、こちらを睨みつけてくる。

一際大きく風が吹き、はためくぼろ布を膨らませた。
子供の髪が、皮膚が、眼が、風に吹かれて剥がれ落ちていく。
子供はなお何かを訴えている。何かを堪え、激昂し、骨ばかりの小さな手をわななかせ、大きくうつろな目でこちらを見据えている。

7

とん、とん、しゃん、しゃん、とん…
とん、とん、しゃん、しゃん、とん…
足音のような、鈴のような響きの、奇妙なリズムが延々と繰り返されている。

いつまでもこんなことを続けていて退屈ではないだろうか。長らくここに戻らなかった自分には、理解し難かった。

緩い勾配のついた砂利道を登る。
地面に突き刺された木が二本。その上に二本の木が水平に架けられ、門を形作っていた。門は道に沿って無限に連なっている。
結えられた紙の飾りは、門をくぐるたびに揺れていた。

道が続くままに漂っていく。
時折道端に何かが彫られた石や板切れが転がっていたが、それらが意味するところを知る由はなかった。
誰もいないのに、大勢の賑やかな気配とざわめきが漂っている。

気まぐれに歩を止めると、ひょこりと門の陰から誰かが顔を出した。
黒い髪に白い肌、うつろで黒い目。それは己だった。
ひとつ先にある門からも寸分違わぬ己が顔を出す。
無限に連なった鏡合わせの門から、無数の己がぽかんとこちらを覗き込んでくる。
どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも…

不意に大きな鐘の音が鳴り響いた。
何かの時を告げる合図らしい。
頭上で揺れていた白紙の飾りも、さっきまで無限に連なっていた己も、皆押し黙っていた。

静まり返った空間に、また例の奇妙なリズムが聞こえてくる。
とん、とん、しゃん、しゃん、とん…
とん、とん、しゃん、しゃん、とん…
それは永遠に繰り返されていた。

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これと同じ内容です。
なんやかんやあって頭の中に世界観だけが地縛霊の如く留まり、小出しにアウトプットしています。
普段はまともに文章を書くのも苦手な人間なのですが、たまには自分でも文字をやりたくなった次第です。
お粗末様でした。